NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は弟子の成長ぶりなど描かず、本人の仕事ぶりだけで番組を構成すべき


この記事は2015年3月に掲載されたものです。
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NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」はよく見る番組だが、前半は本人の仕事ぶりを描いているのに、後半になると弟子の成長ぶりに焦点が移ってしまう回がときどきある。その分野でプロフェッショナルを極めた本人の達人ぶりを見たいのに、肩透かしを食った気分になってしまう。

これは本人があまりにベテランすぎて取材期間中にハプニングなど発生しないため、テレビ的に画になるシーンが撮れずに尺が足りなくなり、まだ未熟で日常的にトラブルを抱える弟子の成長を描くことで、構成のメリハリをつけようとしているのだろう。

私は弟子の成長ぶりを見たいと思ってチャンネルを合わせているのではない。本人が粛々と完璧に仕事をこなすのは達人だから当然であり、その境地に至るまでのエピソードや、日々の繊細な心配りなどをもっと取材し、その極意を伝えてほしいのだ。

番組最後のエンドロールでは、それまで登場しなかったオフタイムなどの未使用シーンが流れることがあり、そうした取材までしていることがわかる。そこまで密着取材しているにも関わらず、本人を掘り下げた構成が出来ないのだとしたら、それは担当ディレクターの能力不足ではないだろうか。「プロフェッショナル 仕事の流儀」の担当ディレクターには、まず己がプロフェッショナルになれと言いたい。

名選手が必ずしも名監督になれないように、この番組で取り上げられるプロフェッショナルたちも、弟子の育成能力が優れているとは限らない。むしろ、それは別の能力と言っていいだろう。そうした異なる能力を一緒に描くことで、この番組が扱うプロフェッショナルの定義がブレてしまい、番組全体が非常につまらなく感じてしまう。

企業の管理職なら人材育成は非常に重視される能力だが、この番組はプロフェッショナルのスキル自体にもっとスポットを当ててほしい。別に劇的なシーンが撮れなくてもいいではないか。無事に日常をこなすことこそが、本当のプロフェッショナルではないか。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、本人の仕事ぶりだけで48分間を使い切ってほしい。