ここ数年、テレビで「~といいます」というナレーションが増えているのに違和感を覚えている。
例えば、ヒット商品によって売り上げが2倍になったことを伝えるとき、
この商品がヒットし、売り上げが2倍になったといいます。
というナレーションが流れる。以前なら、
この商品がヒットし、売り上げが2倍になりました。
と言っていたはずだ。
「~といいます」は伝聞形で、「相手がこう言っていますよ」と伝えているだけで、その内容の真偽は不明だ。「相手がこう言っていますが、それが正しいかどうかは責任を持ちません」ということだ。
なんだか、ウェブサイトの免責事項に書かれている「提供する情報の内容が正確であるかどうか、一切保証いたしません」というエクスキューズを思い出す。インターネットの免責事項に影響され、このような言い回しがテレビ業界でも流行ったのではないだろうか。
ワイドショーなどの情報番組ならそれもアリだと思うが、報道番組やドキュメンタリーでこの言い方をされると、裏付け取材をして確認する手間を省いていることを、自ら宣言するようなものだと思う。それはジャーナリストとしてどうなのか。
逆に言うと、裏付け取材をしているかどうかがわかるわけで、過去の番組では相手の言い分をそのまま事実として伝えていたのかも知れない。それはそれで問題だが、だからといって「~といいます」という言い回しを免罪符にされてしまうと、なんのための報道番組やドキュメンタリーかということになってしまう。
NHK放送文化研究所が編集している『放送研究と調査』2012年7月号で、同研究所メディア研究部の井上裕之氏がこの件を取り上げている。
情報の出どころを明確にしておくことが求められるニュース番組であれば,この表現を使う場合は,誰が言ったのかをその前後で明確に示すことが条件となる。そうすることが,聞き手の心理的な負担やとまどいを減らすことにつながるだろう。
これは違うと思う。問題は言葉の使い方ではなく、報道に対する姿勢なのだ。「~といいます」という言い回しが増えたこと自体に違和感を覚えるのだ。
ニュースソースを明らかにすれば済む問題ではなく、報道番組やドキュメンタリーは事実を伝えることにこそ価値があるわけで、そもそも伝聞形で伝えるのではなく、その伝聞が事実かどうかを確認して伝えていないことに、視聴者は戸惑いを感じるのではないだろうか。
1件のコメント
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とても共感します。
この表現、本当に増えて耳障りです。
責任逃れとしか思えないです。