上野毛駅改良工事は最初から安藤忠雄プロジェクトだったのか


この記事は2010年8月に掲載されたものです。
状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。

東急大井町線「上野毛駅」は、安藤忠雄建築研究所の設計により2011年3月竣工予定で工事が続けられているが、この駅は途中で明らかに設計が変更になり、工期も大幅に延びている。東急電鉄から発表がないので詳細な経緯は不明だが、これまでの動きをまとめてみる。

06年8月時点の完成予想図

この時点では、溝の口方面の旧駅舎はそのままの規模で、大井町方面に新駅舎が出来ることになっていた(東急電鉄「HOT ほっと TOKYU」06年8月号掲載イラストに加筆)

上野毛駅改良工事は06年2月に発表され、同年6月に着工した。東急電鉄が毎月発行しているリーフレット「HOT ほっと TOKYU」06年8月号によると、バリアフリー化と大井町線急行運転のための通過線新設が目的で、この時点では08年9月完成予定となっていた。掲載されている完成イメージ図は、上野毛通りを挟んで大井町方面に新駅舎、溝の口方面に旧駅舎が描かれている。

旧駅舎は独立した建物として改築し、新駅舎とは連絡されていない。現在の計画とは規模・デザインとも全く異なっている。ここでは安藤忠雄氏の名前はない。当時、駅に貼られたポスターを撮影したブログ「鉄分補給を告白する日記みたいなの」(拡大可)を見ると、大井町方面側の人工地盤も狭く、線路全体を覆っていないことがわかる。

上野毛駅に安藤氏が関わることが知れ渡ったのが、07年3月~4月に東京ミッドタウン「21_21 DESIGN SIGHT」オープニングで開催された「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」。ここで上野毛駅の新しい模型が公になった(JDNリポート、拡大可)。上野毛通りを含めて新旧駅舎を全長120メートルの大屋根で覆う大胆なデザインになり、溝の口方面の旧駅舎も線路上に人工地盤を設けている。

バリアフリー化を終えた新駅舎は07年12月に一部供用開始され、08年3月には大井町線の急行運転も開始されたが、その後の工事は半年ほど全く進まなかった。最初の設計案から安藤案に変更しているとしか思えない時間のかけ方で、上野毛通りを屋根がまたぐことについて、行政と交渉を重ねていたのかも知れない。上野毛駅の模型は、08年10月~12月に南青山のギャラリー・間で開催された「安藤忠雄建築展 [挑戦―原点から―]」(JDNリポート、拡大可)でも展示されている。

21_21 DESIGN SIGHT「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」

ギャラリー・間「安藤忠雄建築展 [挑戦―原点から―]」1 | 2

1 「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」
  (2007年3月30日~4月18日、21_21 DESIGN SIGHT)
2 「安藤忠雄建築展 [挑戦―原点から―]」
  (2008年10月3日~12月20日、ギャラリー・間)

10年2月時点の完成予想図

新駅舎の人工地盤が上野毛通りをまたいで溝の口方面まで延伸、ファサードも一変(東急電鉄「HOT ほっと TOKYU」10年2月号掲載のイラストに加筆)

08年9月に安藤氏のデザインを載せたポスターが駅に貼られ、11年3月完成予定と書かれた。ここからようやく工事が再開し、旧駅舎側の人工地盤づくりが始まった。「HOT ほっと TOKYU」2010年2月号のイラストがわかりやすいだろう。

この動きを見る限り、当初は安藤氏と関係なく進めていた上野毛駅改良工事を、東急東横線「渋谷駅」地下化工事で東急電鉄と関わりを持った安藤氏が、自主プレゼンで着工後に変更させたように見えるのだが、実際はどうなのだろうか。あるいは当初案に疑問を感じた東急電鉄側が、安藤氏に見直しを依頼したのかも知れない。上野毛は五島家邸宅がある場所で、東急電鉄にとっても重要だろうから。

『日経アーキテクチュア』10年4月26日号によると、こうした屋根は建築基準法第44条の「道路内の建築物」となり、東急電鉄が世田谷区、東京消防庁、玉川警察署と調整を進めている。実際の工事では道路脇でモジュールを組み立て、毎晩3時間ずつ10日~2週間で完成させるという。

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